2021-04-05

創作の表現、それは誰が行うのか?

 小説を書き始めて改めて実感することがあります。それは自分が書いているものは自分の創作ではないということです。筆がスラスラと進む時に書いている内容は、自分の思考の中にはないものばかりなのです。自分の思考力の産物ではないならば、それはどこから生まれたものなのだろう。実はそれがまったくハッキリとしないのです。それは、いわゆる「降りてきた」ものであって、自分の思考の範囲を明らかに超えているのです。

 先日、「シン・エヴァンゲリオン」を作成する庵野秀明を追跡したドキュメンタリー番組をテレビで視ました。彼が書いた脚本の一部分が思わしくないので書き直すことになり、制作が暗礁に乗り上げてしまった局面が撮られていました。新しい脚本を早く欲しがるスタッフたちの前で、彼はこう呟いたのです。
「……書けない。神様が降りて来ない……」
 また彼の一貫した姿勢として「自分が作るものは面白くない。自分が作れないものを作らないといけない。」としきりに語っています。
 やはり小説にしろ映像にしろ、それが芸術的表現を必要とするならば、もはや作者の頭脳の中から出てくるものでは価値がなく、作者の思考を超越した領域から与えられたものだけが表現として意味のある内容になるということのようなのです。そしてその超越した領域に存在する者を庵野は「神様」という言葉で表しているわけです。もちろんそれは宗教的神を意味しないでしょう。またその言葉はおそらく仮に用いられた言葉であると思われます。
 ではその「神」とはなんなのか、そして自分の思考とはなんなのか、それをしばらく考えてみようと思うのです。

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