私たちが「今を生きる」ことのできない理由としては、こうした社会的理由の他にもうひとつ個体的な側面での理由があります。
それは私たちが普段とっているの何気ない行動の多くは習慣に基づいています。つまり、今までこうしてきたから、とか、これまでこのやり方で問題がなかったから、という理由で過去の行動と同じ行動を私たちは取ります。こうした習慣による行動選択によって、昨日と同じような今日を、今日と同じような明日を私たちは作り出しています。それはとても安定した日常であってある面ではたいへん心地よい結果を生み出しているわけです。
また、もう少し消極的な思考の習慣もあります。それは、失敗を繰り返したくない、ということです。例えば幼い時に猫に引っ掻かれて痛い思いをした経験があるとそれがトラウマとなって、大人になってもなぜか猫が苦手で近寄ることができなくなったりする、といったことです。猫が苦手、という程度のことであればさほど生活に支障はきたしませんが、異性に関してのことや、金銭に関してのこととなると私たちの人生に重大な影響が生じてくるでしょう。例えば子どもの頃、80円のノートを買うからと言って親にお金をもらったとします。いざお店に行ってノートを見てみたら100円のものがとても欲しくなってそちらを買って帰ったら、親にこっぴどく叱られてしまいました。誰にも似たような経験はあると思いますが、その時の状況によっては心に強い傷ができてしまうこともあるでしょう。そうなると大人になっても常に一番欲しいものはあきらめてそれより安いもので我慢するというような行動パターンができてしまったりするでしょう。その結果、大胆にお金を消費するリスクは避けられますが、その代わりいつも不満に満ちた生活を送ることになってしまうのです。しかも多くの場合、こうしたことは普段の生活の中で意識には昇らない潜在的な領域でその記憶が処理されています。その都度思い出しているとそのたびに過去のつらい経験を追体験して毎回苦しい思いをしてしまうからです。
このように意識できるものと意識できないものの両方で私たちは無数の習慣を持っています。こうした習慣はすべて過去に根拠があるものなので、こうした個人的な原因からも私たちは過去に縛られており「今を生きる」ことができていないのです。
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