最近、「今を生きる」という言葉によく触れるようになりました。筆者がこの言葉に最初に出会ったのは約二十年前でした。2002年の大森美香の脚本になるドラマ「ロング・ラブレター〜漂流教室〜」はTV史に燦然と輝く(べき)傑作でしたが、このドラマの冒頭のシーンでこの言葉が出てきます。教師が「今を生きろ」と黒板に大書するシーンで始まるのです。筆者はこれまでこのドラマを何回も繰り返し視てきたのですが「今を生きろ」の意味が今ひとつ掴めませんでした。しかし二十年の時を経て、ようやくこの言葉が多少腑に落ちるようになってきたのです。
あなたは今を生きているでしょうか。もちろん誰にでも今という時間はあります。それは常にあり、私たちは死んでおらず、ゆえに誰もが今を生きている、それは当たり前のことです。
しかし私たちは今を生きることが実はできていません。ほとんどの人ができていないのです。
それはどういうことかというと私たちには過去の記憶があるということなのです。私たちは過去の記憶や経験を基礎にして将来を見通し、その結論として現在の行動をとっています。それが当然であり、それでこそ立派であると思っています。むしろより優秀になるためにもっと過去からたくさん学ばなくてはならない、とまで思っています。もちろんそれは将来を安定的なものにするために大きな効果を発揮しているはずです。しかし同時にそこに私たちの限界が存在しているわけです。
つまり、こうした行動様式を採用している以上、私たちが進む未来は常に過去に規定された将来でしかないということになるのです。
庵野秀明が「自分の作るものは面白くない」というのはそういうことを言っているのだと思われます。「自分の作るもの」とは自分の知っているものであって、それは同時に皆が知っているものでもあるわけです。つまりそれはすでに過去のものであって、過去のものをいくら上手に並べてみても人々が衝撃を受けるようなものにはならないでしょう。
つまり私たちは過去から解放された形で今を生きることができていない、というわけなのです。
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