ここまで読んでこられて、こんな疑問が湧いてきてはいませんでしょうか。
「思考を止めて猿になれ、というのか」と。
そうです、猿になれたら私たちはとても幸せになるかもしれません。しかし私たちはおそらく猿にはなれない。なにせ七万年前に生じた前頭皮質の突然変異とその後の文化・文明は一朝一夕には変えられません。これがある以上、どんなに頑張っても私たちは猿にはなれません。
でも仮に猿になれる可能性がもしあったとしたらどうでしょうか。おそらくあなたも私もたぶん猿になるという選択肢を選ぶことはないでしょう。それはなぜか。今の人間の生活はけっこう安定しているからです。この安定については先にも述べましたが、過去の経験を元に私たちが日々毎瞬引き寄せて作っているものですから、それを手放す気にはなれないのです。でも一方、それだけでは常に不足を感じ、不満であり、場合によっては不幸を感じてしまうという矛盾の中に私たちはあります。
ここでもう一度、七万年前に話に戻りましょう。洞窟の壁に絵を描く、住居を作る、副葬品とともに死んだ人を埋葬する、そういった文化的な活動を表す遺跡というものは七万年前以前にはないそうです。七万年前の突然変異によってなぜ人類の文化的な創造が花を開いたのでしょうか。過去に規定された思考をすることで安定した将来を設計することができるわけですが、そこには革新が生じる要素がありません。単純に過去を未来へ持ち越すだけでは文化的な創造や発展にはつながらないのです。それを可能にする要素はどこにあるのでしょうか。
それこそ思考の停止なのです。思考を止めることで私たちは過去から解き放たれて自由になります。そしてその自由が、ある程度の「今を生きる」状況を生み出し、私たちに新しい発想や新しい表現をもたらしてくれるのではないでしょうか。庵野秀明がいう「神様が降りる」というのはそういう状況なのではないかと思うのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿